赤レンガ倉庫(横浜の名建築 その2)

横浜港の新港埠頭にある「赤レンガ倉庫」が今回のテーマです。

このブログのカバー写真(上)はその2号棟です。ほぼ東西に配置され、写真右奥が倉庫の東端になり海につながります。「赤レンガ倉庫」は外観デザインは幾何学的でありながら瓦屋根やレンガの質感でレトロな暖かさを感じさせてくれます。港に隣接していることもあってとても写真映えする素材です。私も様々な方向から季節を変えて撮影を楽しんできました。

このブログシリーズは、菅野裕子氏と恩田陸氏の共著「横浜の名建築を巡る旅」(発行エクスナレッジ)に刺激を受けて、横浜生まれの私が横浜の建築を改めて探求しようと試みているものです。この本の「海を臨む広場に建つ横浜のシンボル 赤レンガ倉庫」の頁を読んで改めて認識したことがあります。「素敵な建物だな」と今まで漠然と認識していたわけですが、倉庫建築の細部にわたる様々な工夫が私を無意識のうちに魅了していたことでした。通訳ガイドですのでそれなりにこの建築を学んできたつもりですが、今後は今までとは違うガイドトークができそうです。

「赤レンガ倉庫」の歴史をおさらいしましょう。

長い鎖国時代を終え、1859年に横浜が開港されました。赤レンガ倉庫は1899年から始まった横浜港の第二期築港工事である新港埠頭建設の一環で建設された倉庫です。新港埠頭はクレーン(現在もハンマーヘッドが保存されています)や鉄道も備えた近代的な接岸式港湾施設です。赤レンガ倉庫は横浜税関新港埠頭倉庫と呼ばれ保税倉庫として使われていました。1911年に2号棟、1913年に1号棟が竣工しました。

次の写真から2棟を比べてみましょう。

この写真は2号棟(左)と1号棟(右)の間の広場から撮影したものです。奥に新港埠頭の隣で東に位置する大桟橋に停泊するクルーズ船が写っています。1号棟(右)の長さが2号棟(左)よりずっと短いことに気付かれましたか?破風の数も1号棟は2つ、2号棟は4つです。竣工時は1号棟の方が長かったそうです。1923年の関東大震災で両棟とも大きな被害を受けますが、特に1号棟が受けたダメージは大きく中央部分が崩壊しました。「横浜赤レンガ倉庫オフィシャルHPへのリンク」を開き、1923年の項を見ていただくと地震による被害の大きさが判ります。1号棟の崩壊した中央から西側(写真の右側)が撤去され現在の姿に復旧されました。

次の写真から「赤レンガ倉庫」の外観デザインを見てみましょう。

この写真は、1号棟のファサード(正面、平側)を2号棟から撮影したものです。屋根の上に置かれた避雷針は先端から台座下端まで 3m もあります。意匠性がありますね。屋根は波型の瓦を並べた桟瓦葺きです。瓦は一種類ですが、波のリズムを感じます。窓は3段と4段の2種類に見えます。倉庫自体は3階建ですので大部分の窓は3段ですが、4段に見えるところはクレーンが設置されていた場所です。関東大震災後の改修工事でクレーンを撤去して窓に改造されました。4段の窓の上部の破風のデザインが素敵です。「横浜の名建築を巡る旅」によれば「飾り破風」となっていますが、このデザインにどんな名称が付いているのでしょうか?調べてみましたが答えはまだ見つかりません。

レンガについては横浜市のHPをまず見てみましょう。

横浜市のHPへのリンク」を開いてください。レンガは2号棟で318万個が使用されているそうです。横浜市によれば「イギリス積みの変形の ”オランダ積み” で角の部分の積み方がイギリス積みと異なる」そうです。イギリス積みは長手と小口を一段ずつ交互に重ねる積み方です。オランダ積みとの違いは(有)吉田工業所 様のHPにくわしく載っていました。興味のある方は「吉田工業所へのリンク」をご参照ください。

次の写真から倉庫の妻側を見てみましょう。

この写真は1号棟の東端、妻側です。屋根が手前の妻側と側面の平側に落ち込んでいますので、建物全体は寄棟造であることがわかります。窓は破風の下の部分も含めて全て3段で、4段を含む平側(正面、ファサード)と異なります。ちなみに1号棟の西端、妻側は倒壊した部分を切妻に単純化して破風を設けずに復旧しています。

次の写真から窓のデザインに注目してみましょう。

窓の上部の緩やかなアーチは、レンガを縦方向に少しずつ角度を変えて構成しています。窓の下部には黒褐色のレンガが用いられており、壁全体を占める赤褐色のレンガと対比をなしています。細部にまで意匠を意識した設計です。

意匠性に優れる赤レンガ倉庫ですが、模範倉庫として最新の設備を備えていました。いくつか例を挙げてみます。

「防火扉」 (写真 上・左)… 倉庫内の区画間の延焼を防ぐための防火扉です。重さが400kgあります。それをスムーズに動かすための吊戸車(米国製)のデザインが特徴的です。天井には波形鉄板(ドイツ製)が貼り付けられています。

「非常用水栓」(写真 上・中)… 赤レンガ倉庫には沢山のスプリンクラーが設置されました。バルコニーに一部が残されています。

「荷物用エレベーター」(写真 上・右)… エレベーターが1号棟に3基、2号棟に2基設置されました。現在は全てが撤去されましたが、1号棟西端に保管展示されています。一階のグレー色の機械は当時最新鋭の駆動装置で米国オーチスエレベーター社製です。

「揚重機」… 建物正面(平側)の飾り破風のところで触れた揚重機(クレーン)です。関東大震災後に撤去されており、私の写真はありません。「横浜赤レンガ倉庫オフィシャルHPへのリンク」を開いてください。「歴史」の項目で1911年に注目いただくと、竣工したばかりの2号棟のファサードの写真が掲載されています。破風の下部にクレーンらしき装置が写っています。

今回のブログのような建築の細部デザインのトークに海外からの旅行者が興味を示すのかはわかりません。ガイド中に少し触れてみて、反応があれば深堀りしてご説明しようと思います。興味がないようでしたら、2号棟の2階バルコニーにある「幸せの鐘」にとっととご案内して鐘をついていただきましょう!

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柴田 仁

一期一会 今日の出会いを大切に

全国通訳案内士(英語)の資格に加えて「あきた白神ガイド」(秋田県認定)や「登山ガイド」(日本山岳ガイド協会認定)などの資格も持っていますので、観光地のみならず日本の自然をご紹介できるガイドを目指しています。

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