写真は、「当組合について」の「ご挨拶」のページに使用されているものです。私が撮影した写真ですが、この少女像がどこに設置されていて、何をモチーフにした像であるかをご存知でしょうか?答えは、横浜山下公園におかれている「赤い靴はいてた女の子」の像です。像の作者は、彫刻家の山本正道氏です。野口雨情作詞、本居長世作曲の童謡「赤い靴」をモチーフにしています。1979年(昭和54年)に「赤い靴記念文化事業団」により設置され管理されています。
私は横浜在住で山下公園は大好きな散歩コースです。「赤い靴はいてた女の子」の像は係留されている氷川丸とともに山下公園を象徴するモニュメントです。像は海を眺める方向に置かれ、少女の優しい目元にどこか哀愁を感じるとても素敵な作品です。風景と美術を一体化することに注力したという山本正道氏の代表作です。私の一番のお気に入りなので何度も写真にとっていますが、「ご挨拶」のページに採用した写真は9月初旬に撮影しました。像の周りの花壇が色とりどりの草花でいっぱいだった時です。当組合の代表組合員は女性ですが、彼女による挨拶文を掲載するページに相応しい写真であると自負しています。
さて、童謡「赤い靴」を覚えていますか?歌詞とメロディーが醸し出すなんとも言えない悲しさ・寂しさを感じる曲です(「赤い靴」の詩の背景にはとても悲しい物語が秘められていますが、今回は触れません)。
- 赤い靴はいてた 女の子
- 異人さんに 連れられて 行っちゃった
- 横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
- 異人さんに 連れられて 行っちゃった
- 今では 青い目に なっちゃって
- 異人さんの お国に いるんだろう
- 赤い靴 見るたび 考える
- 異人さんに 逢うたび 考える
「赤い靴」が作られた1921年(大正10年)です。同年に「青い目の人形」も発表されています。同じく野口雨情作詞、本居長世作曲の作品です。
- 青い目をしたお人形は アメリカ生まれのセルロイド
- 日本の港についた時 一杯涙をうかべてた
- わたしは言葉がわからない 迷子になったらなんとしよう
- やさしい日本の嬢ちゃんよ
- 仲よく遊んで やっとくれ
- 仲よく遊んで やっとくれ
当時の海外との往来は船です。横浜の波止場から海の向こうへ行ってしまった赤い靴をはいていた女の子と、海の向こうのアメリカからやってきた青い目をした人形は、対になっているようです。
こんな童謡が作られ歌われていた大正時代は、日本ではアメリカに対する憧れがまだ残っていたかもしれません。しかし、アメリカでは日系人に対する排斥が激しさを増して1924年(大正13年)には排日移民法が成立した時代です。
横浜市の姉妹都市であるアメリカ・サンディエゴ市に「赤い靴」の銅像があります。2010年に設置されました。山下公園の像は座った姿ですが、サンディエゴの像は立っている少女像で横浜市とサンディエゴ市の市花である薔薇とカーネーションを手にもっています。像の除幕式には、山下公園の少女像を管理する赤い靴記念文化事業団の松永春団長が参加されました。
さて、通訳ガイドとして「青い目をした異人さん」に「赤い靴はいてた女の子」の像をどのように紹介しましょうか?
コメント